ダウン症とゴルフと社会の成熟

8月6日、何気に米国ダウン症協会からメール情報が届いた。最新の愛児クリニック発のニュース(7月30日付け)は、30年前に製作された映画で、どこにも居場所がないダウン症というテーマを描いたのが、10年後には、少数被差別者として、社会の隅に居るが、居続けるためにはそれなりの闘争を要するという映画になり、さらに直近の映画では、どんなに邪魔をしても我が道を行くと決めたら行くダウン症青年を主人公とする映画に進化していると喝破した。昔、あたかも人道主義に準じたようなふりをして、いっそのことダウン症者たちだけのタウンを創設したら、すべて平和に過ごせるという提案を耳にして、ナチスがユダヤ人をまずゲット―に押し込めて、後にまとめて収容所に送り込んで毒ガスで抹殺したことをたちまち思い出して、どうしようもない人たちが間違ったことを良いこととして言いつのっているなあ、とため息をついたものだ。日本の後進性には、つける薬がないので、わざわざ自分の意見を広めるつもりもなくなった。ところが、米国ダウン症協会のニュースは、しぼみかけた魂に活を入れてくれた。

協会は、9月13日(月)ヴァージニア州アレキサンドリアで、ダウン症ゴルフ大会を開く予定で、アミ―・ボッカ―ステッツ嬢が、特別招聘される。彼女はダウン症を有していて、カレッジには運動選手対象の奨学金を受けて入学し、障害者差別と闘う存在advocateでもある。さらに言えば、全米カレッジ選手権で初めて選手として参加したダウン症の女性なのだ。当日、ベル ヘブン カントリークラブのコースでプレイしたければチケット購入を。さらにダウン症のゴルファーは無料参加できる。

世間という社会構造があり、その中で、普通の人と何ら変わりなく過ごせるという文化、習慣をすでにここまで確実に構築している国がある。ひるがえって、日本の国情は語るに値しない。感情、情緒を文化の礎にしてはならない。せめて、理性だけは放り捨てないように。(文責:飯沼院長)