映画に見るダウン症の変遷史(考)

米国の映画『Peanut butter falcon』を鑑賞した記録はすでに本欄で簡単に報告されています。短い文章でしたので、大事な価値観がそこにあったことが、うまく伝わっていないことに最近気づきました。社会がどうダウン症をとらえているかを映画から感じ取ることができます。ある意味、文化論としてとりあげることができます。ダウン症は強いマイナスのイメージに彩られて、社会の常識下に固定化されてきました。かって、米国でダウン症の赤ちゃんが誕生すると、即座に乳児院施設に移送されるのが、上流社会の常でした。ロデオ抜群の腕前をもつ有名な俳優ロイ・ロジャースの家に女児が誕生しました。その赤ちゃんはダウン症をもっていました。母親となったデイルは、施設に入れることをかたくなに拒絶して、信仰心に照らして正しい選択を変えようとしませんでした。その頃の社会常識からすると、とんでもない考えだと受け止められたのです。その女児ロビンちゃんは、2歳をまたずに亡くなりましたが、1952年、母親が、ロビンは神様から大事なメッセ―ジを託されて人間界に降りてきたという物語を発表しました。ロビンの誕生をきっかけとして、自分たち家族ばかりか、周りの医者、友人たちまで、愛情深く交流することがいかに神の意志にかなうことを実現させたか、わかりやすく語ったのでした。この本の影響を受けて起こった社会的な反応のうねりは、スペシャルオリンピック設立につながったとされています。(『隠れた天使』DEロジャース著、飯沼訳、同成社、1996)

1996年、世界はカンヌ国際映画祭からのニュースに驚かされました。ダウン症の俳優パスカル・デユケンヌが最優秀男優賞を獲得したのでした。映画は”8日目”で、日本でもたいていのレンタルビデオ店にありますので、見ておくとよいです。中でも青春期のいわゆる障害児が集団で一夜を過ごす中で素直な性行動が描かれていて、脚本を書いた作家は障害者とレッテルを張られる集団の姿をよく見抜いていると感心させられました。ドラマの筋は、今まで施設に入れられていたダウン症の青年が母親に会いたいという一心で、最終的に目的地につくのですが、そこで母親から受け入れられないとわかり、樹上から飛び降りて人生を終わりにするというものでした。

その後21世紀に入って、米国の映画”チョコレート・ドーナッツ”という作品が公開されました。社会から疎外された形のゲイとダウン症の青年がであい、お互いの存在が他に変えられないという認識から、二人を引き離そうとする法律一点張りの行政と闘うと言う内容です。そこには、まず大きな舞台背景として、差別されるLGBTQの人と、同じくダウン症の人が居るという包み込みがあり、その認識の在り方は、その時代の思想を反映しているかもしれません。LGBTQもダウン症も、物陰にこもって派手に目立つなという大前提があってこそ、ストーリーの味付けがされています。この差別観が、その後どう変遷したか、とても知的に興味があります。

そして、ついに、2019年の映画『Peanut butter falcon 』に到達します。この映画では、やはり施設で育てられたダウン症の青年ですが、脱走して、自分の夢であるプロレスラーになるために長い旅路を進みました。追いかけてきた監察官と偶然にであった無職の放浪者を味方につけて、ついにレスリングのリングに上がります。アメリカンドリームをあきらめない人間として描かれています。

世の中に居場所がないと思わせる映画『8日目』の筋書きが、社会的少数派として生きるために壁と向き合って戦う『チョコレート』の筋書きとなり、ついに、『Peanut』では、周囲からの偏見とか差別とか受けても何のその、自分の意図はここにありという生き方をする姿を描いた筋書きまで、30年を要しました。歴史上のダウン症の理解の仕方が映し出されています。海外の文化の展開振りをうらやましく思うこの頃です。日本では、今ようやく『チョコレート』が舞台化されたと話題になっています。いかにもで、文化の問題提起と受け取ってもらえば、幸いです。(文責:飯沼院長)