映画『わたしはダフネ』

Mさんから教えてもらい、幸運にもイタリア映画『わたしはダフネ』を本日(9月10日)吉祥寺アップリンクで見てきました。20代後半のダウン症女性が主人公で、あまり裕福ではない両親と三人で暮らしています。でも主人公は結構口が立ち、的確な寸評もすることができます。純粋な心を周りの人達は承知しているので、休暇明けには、初出勤に職場をあげてのお祝いをします。途中まで冒険映画、アクション映画、ヒーロー映画、物語映画に特有の場面展開は起こらず、上映時間が後半の終わりに近づくと、どういう終わり方をするのかしら、としきりに気になりました。映画のネタ晴らしは厳禁ですのでこれ以上のあらすじには触れません。途中、母親が事件に巻き込まれて死亡します。母親に成り代わって父親の面倒を見ようとする娘。国境を越えてダウン症の人の心は変わりありません。この映画の特徴は、日常のゆったりした流れの中で、ダウン症女性の生き方を描いて見せていることです。前向きで、持てる知識をおしげなく周囲の人たちのために使って、人助けをします。父親はもはや耄碌寸前で、いつ行き倒れになるかと観客をはらはらさせます。父との対比で、いつのまにか大人の道理をわきまえた女性に育っている事を淡々と描いています。発音もくぐもって聴きにくいこともないし、イタリア語の音楽の調子みたいなリズムが短いセリフでも心地よかった。単語が会話の流れの中で実にうまく発されています。この映画は、ドラマというよりドキュメントに雰囲気的に近い。愛児クリニックでいつも主張している療育の目的にかなっている姿をみました。大人になったときに、そこに居て普通の人と変わりない存在感で、居るというのがゴールです。映画館は、午前10時から上映が開始され、朝いちばんなので、お客さんはほとんどないだろうと思っていたら、実際には10数名で、車いすの人も居た。Mさんが良い映画と言っていたことは正しいと思いました。(文責:飯沼)

続報です。Mさんからのメールを披露します。

ところで『わたしはダフネ』はどうでしたか。
私はあの映画に、自分自身の中にまだ残っている思い込みを修正されたような気分になりました。
たとえば、スーパーの、紙巻きタバコを吸っている同僚。
あの女性が登場したとき私は、「あっ、これは、ダフネはこの女にきっといじめられるぞ」と警戒心を抱きました。
また、ヒッチハイクで二人の若い軍人に出会ったときも、何か嫌なことが起こるのではと心配しました。
けれどもそんな意地悪な展開はどこにもなく、喧嘩や対立があったとしても、普通の人の日常として描かれているのに驚きました。
自分の中に、『ダウン症の人は虐げられたり差別されたり、もしくは養護されるキャラクターとして描かれて当然である』という思い込みがあることに気づかされました。
また女宿主のコンピュータの不具合をチェックして、「ウイルスに感染していると思う」と教えたり、父親の言い間違いを訂正したりするシーンは痛快でした。
ダウン症であることが語られるシーンはあるものの、それよりもダフネという一人の女性の魅力を描いたのが、とても素敵な映画だなと思った次第です。M
Mさん、的確な批評をありがとうございます。(文責:飯沼)