ダウン症ですが、それが?の記事

愛児クリニックは“ダウン症の療育″を社会的責任として引き受けています。その最終ゴールについて特に言及しておきます。それは、ダウン症の子を授かった親御さんが、その子にきちんとした教育をして、成人に到達した暁には、社会の一員として周囲から認知受容される人間にするということです。今の日本社会の底流を考えると、ダウン症への偏見と差別の意識は、簡単に軽減していくとは思われませんが、今の瞬間でも、微々たる努力をしていれば、少なくとも微々たるあゆみをするという現実感を大切にしたいと思います。障害者と思われた人たちが、いつかしら、社会的に普通の社会人扱いされる環境改革は実現するでしょうか?希望を胸に抱き続ければ、おそらく実現するでしょう。それが100年先でも200年先でも構いません。文化の精髄たる人間の尊厳性を決して忘れないで、日常を生きることで、いつかは実現すると信じるしかありません。

愛児クリニックのホームページの掲示板には、こうした精神を具体化した事例をいくつもニュースとしてとりあげています。ダウン症の俳優さんの大活躍もそうです。ゴルファーも取り上げました。今回は、ちょっと古いですが、ウイットに富んだ事実をお届けします。

2020年3月5日のロイター通信社の短報です。フランスで地方選挙が実施となりました。34歳のエレオノーレ・ラルーさんという女性が立候補しました。彼女はダウン症をもっています。そこが話題になり、記者からインタビューを受けました。ダウン症がありながら、選挙に候補者として立ち上がったのは、どのような理由ですか、と尋ねられて、答えはシンプルそのものでした。「ダウン症ですが、それが?」溜飲が下がる答えです。さすが、フランス革命の歴史をもつ文化国家です。王侯貴族は神から与えられた特権という深層意識に刷り込まれた時代に、その特権階級の輩を引きずり出して、ギロチン台の露とした人々こそ、革命の表現に値します。神を恐れぬ業を実行したのです。革命です。日本史には見られぬ事象なので、フランス並みの人権尊重の意識はわが国では育ちようがないでしょう。社会には数々のタブーが存在しますが、そのタブーに挑戦して初めて革命と呼ばれます。ダウン症の女性が選挙に立候補したのは、フランスならではのことですが、指をくわえて見ているだけではもったいないので、取り上げました。(文責:飯沼院長)