ダウン症の意味とは

令和2年8月末に、宮崎県で障害者陸上競争大会が開催されたニュースを、たまたまインターネットで見つけました。一読して驚きました。障害がある競技者を、従来は身体不自由者と知的障害者の二大別する分類していましたが、この大会から、第三の分類としてダウン症を設けることとなり、公式には、この新分類の考え方は、国内で最初のこととありました。これ以上の情報が報道記事から読み取れなかったのですが、内容は画期的革命的な意味を持っています。およそ50年近いダウン症医療と療育に関係をつづけてきた当方は、ダウン症という概念をつきつめればつめるほどに、一般社会が持つイメージと絶望的な隔たりがあると痛感するようになっていました。民俗学的、人類学的、社会学的、倫理学的、医学的な視点を定めて、ダウン症を考えると、社会一般常識(医者のレベルも含めて)とは、大きな乖離(かいり)を感ぜざるを得ないのです。ダウン症の赤ちゃんが生まれると、医者の説明で、「たぶん歩けない、話せない、学校は障害児専用の学校へいく、早死にする」と昔話に出てくるような説明を、2020年という時点でされた親御さんが、未だに、外来に現れるのです。日本の疾病歴史上でダウン症の理解は凍結したまま過ぎていると思っていました。それなのに、ダウン症の分類が、障害者運動大会の参加者の区分に新しく取りこまれた!と知って、何だ、きちんとダウン症とは何かを思慮深く考えている人がこの日本にも居たのか、とびっくりしたのです。日本人の文化では、世俗の偏見と差別の壁を破って、新価値を提案する能力を発揮する能力をもっていないと思っていた当方の傲慢さを反省したのでした。でも反省も半省に変化します。その後、わかったこととして、昨年奈良で同様の大会が催された際に、試験的にダウン症の区分を実行したそうです。さらにこんな斬新な考え方(哲学、パラダイム)の発祥の地は、昨年のブリスベーンで開かれた国際障害者スポーツ大会で始まったことを知りました。なんだ、日本人が考え抜いて新しい態度を世界に提唱したのではないのかと、ここでがっかりしました。ノーベル賞を日本人が獲得したと聴くと、なんとなくうれしいのは、愛国心を反映したものだからではないでしょうか。今回のダウン症分類を陸上大会に取り込んだことで議論を深める相手が猛烈に欲しいと思いました。物事をありのままに見ようよ、でも君たちは見ることができる目を持っていないからなあ、と嘆く院長からの情報提示でした。