産んだが、要らない

4月、女の人からクリニックに電話があった。娘が結婚して初めて出産して、ダウン症の赤ちゃんだと医者から告知された。夫婦も祖父母も障害児を育てる気持ちは金輪際ないので、赤ちゃんを手放したいから、里親として引き取ってくれるルートを教えてほしいという。犬猫の引き取り先を探すみたいに、声に、何の感情の揺らぎも感じなかったのが不気味。不定期に、この種の電話がクリニックにかかってくる。自分が産んだ赤ちゃん?十分な妊娠期間があるのだから、その間に、産科領域で有効な母性を獲得できるように教育がされていなかったのか?社会的地位がある程度高い、高収入の職業についている夫婦が、いとも簡単に、産まれたばかりの子どもを要らないと決める(祖母の言葉)のは、どうにも理解できない。教養が無い。日本の学校教育に根本的な欠陥があるのではないか。

常々、クリニックでダウン症児の療育相談をする中で、3歳になったら、健常児集団の中で成長させるように勧めている。健全な子どもの世界には、三つの倫理的ルールがある。1.お互いに体力、知力に違いがあるのを認める。2.力の強い者が弱い者をいじめるのは、最低のことで、常に弱い者を守るのが真に強い者である。ときには弱い者が強い者に挑戦するのはあまねく許容されたことで、たとえ敗けてもその勇気は称えられる。3.子どもの世界のトラブルは、子どもだけで解決すべきで、外から権威を持ち込むことは子ども世界の存在権を失う。健全な子ども集団に参加して、このルールを学び身につけることが、ダウン症児の人間性を健やかに育てることだと指導をしている。この健全性は、周りにいる大人たちから影響を受けるため、しばしばルール破りの親により、子ども世界は不健康を示す。大人の世界の状況を見ればよい。上記のルールの真逆が横行している。実例をあげるまでもない。無教養の洪水が見られる。せめて、愛児クリニックの外来世界だけは、純真な子どもたちの居心地が良い場所として確保し続けたい。

ちなみに、日本では、2015年から「健やか親子21(第二次)」が実施中で、行政として育てにくい事情のある親子の支援をすると定められている。すべての法律に言えることであるが、血の通った運用が求められる。上記のような電話がかかってくる頻度が低下することが、評価と結びついているのであろう。未だ道遠し。(文責:飯沼院長)